高野山真言宗 医王山 平松寺

平松寺について

長和寺と平松寺

 平松寺は医王山と号し、真言宗にして旧高野街道沿いにあり、丈六の薬師如来を本尊とす。本尊は春日仏師の作なりと伝えられる。

 本堂東側の鎮守社手前にある手水先鉢は上部別石で「無」の字、―字を刻み、下方の台石には「長和寺大宝塔、願主実盛、大永四年(1524)八月吉日」の文字の彫刻がある。

 長和寺は三条天皇の長和年間(1011~1015)に天皇の詔を得て創建され御願寺なり勅願寺として取り扱われた。河州丹南、八上両郡境にあったと伝えられ、丁度この平松寺の位置に当たる。
住僧明蓮房良尊は
安芸国厳島神社の神主佐伯景弘と深いつながりがあり、彼の依頼によって長寛二年(1164)十名の僧侶と平清盛を檀越とする写経業をした。良尊の外に黒山の学音寺の僧義詮、同郷花林寺の僧智裕、同郷薬師寺の僧教祐と現在の美原町内の寺院名が4寺も記されている。承安二年(1172)二月に結縁奉納された平清盛ら一門の「平家納経」は厳島神社に現存する超一級の国宝である。

 

 

「無」

「長和寺大宝 塔願主実盛 大永四年甲申 八月吉日」


「国宝平家納経」
平家納経は平安芸術の粋を伝える見事なもの。国宝中の国宝である。


長和寺はその後戦禍によって焼失した、この附近に平松寺が再建され、多分長和寺の後身ではなかろうかと思う。


(美原町郷土研究会 美原八景より引用)