高野山真言宗 医王山 平松寺

平松寺について

山に入る(修験道と修行)

葛城山や金剛山に登って東を見ると高く大きい峰が連なっている。大峰山脈である。
なるほど役行者が先に葛城の嶺を開き、数年後に大峰を開いたとある説はもっともで、生家吉祥草寺(御所市)に近い葛城の山からこの姿を望むと、その山脈にひかれたことは想像に難くない。

修験道は、「山伏」の言葉でも知られるように、日本古来の「山」への信仰がその起源となっている。「山」に対する尊敬や畏怖の念から生じる信仰は、日本だけでなくその例は全世界に多数存在する。特に、全国土の七十パーセント以上を山岳地帯でしめる日本は、この「山」を中心とした様々な信仰を各地で見ることができる。
修験道は、この日本古来の山への信仰を母体とした民間信仰でありながら、しっかりとした修行体系、思想体系、信仰形態をもつ、きわめて特徴的な宗教であり、あえて、○○宗とか○○教とはいわず「道」で表される宗教である。

その基盤は、役行者(神変大菩薩)の個人的な信仰や修行にあるが、時代の流れの中で様々な思想や民間信仰から自然発生的に成立していったといえる。中でも密教との融合は特質すべきもので、仏教が釈尊(ブッダ)によって説かれて以来ずっと持っていた、修行的側面と哲学的側面と信仰的側面(民衆の救済)から生じる様々な問題点をインド古来の神秘思想を媒介として融合させた密教が、日本においては、さらに修験道の中に取り入れられ、日本古来の山岳民間信仰とも相まって独特の修行、思想、信仰体系を成立させた。

修験道の行者のことを「山伏」とも呼び、この語は「野に伏し、山に伏し、仏と共にあり」という言葉に由来する。修験道の修行は、山そのものを大日如来と観じ、峰中にひろがる行場(修行道場)をめぐりながら、大自然の中での、野性的な修行、荒行の中から、自己の内に秘められた無限の可能性(仏性)を体得しようとするものである。

また、修行を通して自らの心と体で学んだことを「実修」という二文字であらわし、また学んで得たことを人々のために活かして行くことを「実証」とあらわす。この二つの修行、即ち「山の修行、里の修行」のことを「実修実証」という。